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CINEMA ENCOUNTER SPACE


by encounter_space
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『待ち濡れた女』

『待ち濡れた女』
1987年/96分/にっかつ/シネスコ
脚本:荒井晴彦 原作:高橋揆一郎
監督:上垣保朗 助監督:萩庭貞明 美術:中澤克巳
撮影:安藤庄平 照明:木村誠作 録音:細井正次
出演:中村晃子、浅野なつみ、亜湖、花柳幻舟、高橋長英、柄沢次郎

梅雨入りの日の真夜中に、梅田日活で観ました。

上でちょっとスタッフ・キャスト表をこういう並びで書いたのは、なんとなくですがなんか並べてみたくなったというか。
取り立てて表立った華麗な映画人生を送っている人々が名を連ねているわけではないですが(もちろん皆さん、熟練の職人だったりいい俳優さんだったり無頼派の名を馳せるライターさんだったりするわけですけど)、おそらくここに名前が挙がっている人は、ここに名前が挙がっているということが、人に語り継ぐような武勇伝にはしないながらも、案外、潜在的に人生にとって大きなことだったりするんだと思います。

「ああ、そうだ、『待ち濡れた女』があったなぁ」
と、ある蒸し暑い初夏の夕立ちにふと口に出すぐらいの感じです。
(※↑ここ、勝手にイメージ作ってるだけです)

映画として言及をするならば、その2年前に撮られた、傑作の域を超えた80年代の日本映画の奇跡、『台風クラブ』がやはり引き合いに出されるべきのかもしれないですが、それで言うなら、この『待ち濡れた女』が『台風クラブ』の2年後に日活ロマンポルノとして世に放たれたことーつまりは、ある限定された(制限を受けた)空間の中でのみ存在を許され、ある一定の観客のみに享受されたことなどが、僕にとっては関心があります。
『台風クラブ』にしたって、当時はそんなに世間にまっとうに受け止められたわけではなかったんじゃないでしょうか。(うーん、自分はその頃スピルバーグ映画か角川映画の薬師丸にぞっこんだったから覚えてないなー。当時小学生ですけど。)
ただ、一般に華々しく公開されて「?」マークを世間に付与した(はず)『台風クラブ』よりは、明らかにこの『待ち濡れた女』は限定された観客の大部分にまっとうに支持されたんじゃないかと、勝手な想像ですが思うわけです。
「語られるプロセス」と「語られる主題」の奇跡的な融和がここにはあるんじゃないかと。
もちろん、その制作に参加した人々にとっては、ちょっと規模は大きいとはいえ、ロマンポルノです。それでこんな無茶苦茶なこと書いてあるこのシナリオ、どうやるんすか!カントク!という具合に、苦痛や困難や不安の連続だったかもしれませんが、まぁ実際“奇跡”は起こっちゃった。
でも、それ自体は僕は二次的なものだと思います。年中、世界中で映画なんて撮ってるわけで、この程度の“奇跡”はしょっちゅう、いくらでも起こってるはず。
で、ここからがこの映画の不思議なところで、どこか、その“奇跡”をあらかじめ予測して取り込めるという確信が、この映画にはあったような気がします。
逆にこれ、“奇跡”が起こんないと映画が成立しないと思うんですよ。どう考えても。
「奇跡はオレが起こす!」って腕組みしてるんじゃなく、「何やったって一緒だからとりあえずやっときましょうよ」的なお仕事処理感でもなく、「あー、これ、ここでこういう奇跡が起こるってことですね、なるほどー、へぇー」って妙に納得してるような感じでしょうか?

たぶん、この当時の相米慎二にはこれを成立させる「慎み」はなかったろうし、あ、そうですね、映画作家的に名前が浮上する人が監督してたら出来なかったんじゃないでしょうか。
長谷川和彦も、伊丹十三も、大森一樹も、森田芳光も、高橋伴明、根岸吉太郎、澤井信一郎も。

うーん、この感じ、いいたとえがあればいいんですが、しっくりくるたとえが浮かばない。

でも、どこかでこの映画に携わった人たちの現場での“実感”は、他には代えられないある一致感(フィット感)のようなものがあったんじゃないかと思います。

「へへへ。口では嫌だって言っても、カラダは嘘はつかねぇな…」

「ちきしょう!あんな嫌なヤツでも、どうしても離れられないのよ…」

というような、なんていうんですか、野郎の妄想の産物みたいなもんが、あながち「男がバカ」ってだけではなくて、男女関係なく、そういう感覚っていうのがきっとあるんじゃないか、という気にさせられる映画だったように思います。

何言ってるんでしょうか(笑)

いや、男女の境界を越えて、男だって女的な部分を持っていたりするし、逆もあって、ということは、どちらかの性に属しているとされている感性的なことの中にも、実は性差を超えて共有されうるものだってあるかもしれない。
この『待ち濡れた女』という映画は、物語として、まさに上の台詞で代弁できるような話ですが、そこで取り上げられている「性(サガ)」のようなものが、男女の別や、社会的立場なんかも超えて、この映画の現場には空気として共有されていたんじゃないか、それも含めて、フィルムにはそういう空気が映画そのものの観客に示すべきものとして目論まれ、きっちり刻まれている。そういう感じが、僕の中で起こったということなんですね。

梅雨入りの日に梅田日活で観たからでしょうか?

いやっ!でも、とりあえず、上にスタッフ・キャスト表をこうして並べてみたかったのは、どこかしら僕がこの映画の現場にある種の「フィット感」を持って携わることのできた人々への嫉妬があるんだということです!

DVD買っちゃいそうだぁ。
by encounter_space | 2007-06-18 09:54 | これ観た